北海道・北東北の縄文遺跡群
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Photo by JOMON ARCHIVES
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Photo by JOMON ARCHIVES(外ヶ浜町教育委員会撮影)
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Photo by JOMON ARCHIVES(外ヶ浜町教育委員会所蔵、田中義道撮影)
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Photo by JOMON ARCHIVES(外ヶ浜町教育委員会撮影)
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Photo by JOMON ARCHIVES(函館市教育委員会所蔵)
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Photo by JOMON ARCHIVES(函館市教育委員会所蔵)
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Photo by JOMON ARCHIVES(伊達市教育委員会撮影)
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Photo by JOMON ARCHIVES(つがる市教育委員会撮影)
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Photo by JOMON ARCHIVES(つがる市教育委員会撮影)
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Photo by JOMON ARCHIVES(七戸町教育委員会撮影)/埋葬された犬
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Photo by JOMON ARCHIVES(青森県埋蔵文化財調査センター所蔵、田中義道撮影)/鹿角製櫛
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Photo by JOMON ARCHIVES(青森県教育委員会撮影)
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Photo by JOMON ARCHIVES(三内丸山遺跡センター所蔵、田中義道撮影)/黒曜石
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北海道・北東北の縄文遺跡群 について
北海道・北東北の縄文遺跡群は、1万年以上にわたり採集・漁労・狩猟により定住した人々の生活と精神文化を伝える文化遺産。北海道・青森県・岩手県・秋田県に所在する 17 の遺跡で構成されている。
北海道・北東北では、ブナを中心とする落葉広葉樹の森林が広がり、海洋では暖流と寒流が交わり豊かな漁場が生まれた。このような自然環境のもと、人々は食料を安定的に得ることができ、今から約 15,000 年前に土器を使用し、定住を開始した。その後、1 万年以上の長きにわたって農耕に移行することなく、気候の温暖化や寒冷化などの環境変化にも巧みに適応しながら、採集・漁労・狩猟による定住を継続した。この間、土偶や環状列席、周堤墓などにみられるように、精緻で複雑な精神文化を育んだ。
北海道・北東北の縄文遺跡群は、農耕文化以前の人類の生活や精神文化を伝える貴重な遺産である。
大平山元遺跡

英名:Odai Yamamoto Site
陸奥湾に注ぐ蟹田川沿いの段丘上に立地する縄文時代開始直後の遺跡。旧石器時代の特徴を持つ石器群とともに、土器と石鏃が出土した。土器に付着した炭化物の年代測定の結果、15,000年以上前のものであることが明らかにされている。土器は、重量があり壊れやすく、移動に適さないため、土器の出現は定住の開始を示すと考えられている。石器を製作した場所や調理に用いた土器片の広がりなども確認されている。旧石器時代の遊動から縄文時代の定...
垣ノ島遺跡

英名:Kakinoshima Site
太平洋をのぞむ段丘上に立地する紀元前 5,000 年頃の集落跡。竪穴建物による居住域、大型の合葬墓と単独墓からなる墓域が形成され、日常と非日常の空間が分離したことを示す。竪穴建物からは漁網用の石錘が出土し、漁労が活発に行われていたことを伝える。墓には、この地域に特徴的な幼児の足形を押し付けた粘土版が副葬されることがあり、当時の葬制や精神性を示す。
その後、紀元前 2,000 年頃になると、長さ 190m を超える盛土遺構がつくら...
北黄金貝塚

英名:Kitakogane Site
内浦湾をのぞむ丘陵上に立地する貝塚を伴う集落跡。台地上に居住域と墓域、貝塚が配置され、低地に湧水点と水場遺構がある。貝塚からは、貝殻や魚骨、動物の骨や角でつくられた骨角器などが出土し、海進・海退などの気候変動に適応しながら漁労を中心とした生業が行われていたことを示す。貝塚は祭祀場的な性格も有しており、貝塚の中から人の墓や動物儀礼の痕跡が確認されている。また、低地にある水場遺構からは意図的に壊された石皿やすり石...
田小屋野貝塚

英名:Tagoyano Site
海進期に形成された古十三湖に面した貝塚を伴う集落跡。集落には、竪穴建物、墓、捨て場、貝塚、貯蔵穴など、多様な施設が配置されている。貝塚からは、土器や石器のほか、汽水域に棲息するヤマトシジミを主体に、コイやサバなどの魚骨、イルカやクジラなどの海獣骨、動物の骨を加工した骨角器なども出土している。このほか、装身具であるベンケイガイ製の貝輪(ブレスレット)の未製品が多数出土し、集落内で貝輪の製作が行われていたことも明らか...
亀ヶ岡石器時代遺跡

英名:Kamegaoka Burial Site
海進期に形成された内湾である古十三湖に面した大規模な共同墓地。台地上には墓域が広がり、その周囲の低湿地には祭祀場としての捨て場が形成されている。捨て場からは、土器・石器のほか、漆塗り土器、籃胎漆器、植物製品、玉類などが多数出土している。なかでも大型土偶(国指定重要文化財)は、その眼部の表現が「遮光器土偶」の名称の起こりとなったことで知られている。墓の数に比べて竪穴建物の数が極端に少なく、土坑墓が多数群集し...
二ツ森貝塚

英名:Futatsumori Site
小川原湖に面した段丘上にある大規模な貝塚を伴う集落跡。平坦部に竪穴建物や貯蔵穴による居住域、その外側に貝塚や墓域が配置されている。貝塚は、段丘の北斜面と南斜面に形成された。下層にはマガキ、ハマグリ、ホタテなどの海水性、上層にはヤマトシジミなどの汽水性の貝殻が堆積し、海進・海退による環境変化に適応した人々の生活を示す。このほか、魚骨や動物骨、動物の骨や角でつくられた釣針や銛などの骨角器も多数出土している。な...
三内丸山遺跡(特別史跡)

英名:Sannai Maruyama Site
陸奥湾をのぞむ段丘上に立地する大規模な拠点集落。集落には、竪穴建物や大型竪穴建物からなる居住域、列状に配置された墓による墓域、貯蔵穴、掘立柱建物、捨て場や盛土などが配置されている。盛土からは、土偶やミニチュア土器などの祭祀用の道具が多数出土し、祭祀・儀礼が継続して行われていたことを示す。また、石鏃や石槍などの狩猟具、釣針や銛などの漁労具、木の実をすりつぶす石皿やすり石、多種多様な魚骨や動物骨、クリ・クルミな...
大船遺跡

英名:Ofune Site
太平洋をのぞむ段丘上に立地する拠点集落。竪穴建物、貯蔵穴、盛土、墓などの施設が分離して配置されている。竪穴建物は床を深く掘り込んだものが多く、深さ2mを超える大型のものもある。祭祀場である大規模な盛土には、膨大な量の土器・石器、焼土などが累積し、長期間にわたって祭祀・儀礼が行われていたことを示す。このほか、クジラやオットセイなどの海獣骨、マグロやサケなどの魚骨、クリやクルミなどの堅果類なども出土し、沿岸地域における...
御所野遺跡

英名:Goshono Site
馬淵川沿いの段丘上に立地する拠点集落。東西に長い台地の中央に墓域と祭祀場である盛土が形成され、その東西に大・中・小の竪穴建物や貯蔵穴からなる居住域が広がる。墓域は、複数の石を組んだ配石遺構が環状に分布し、その外側に掘立柱建物が配置される。盛土からは、大量の土器や石器とともに、焼けたシカ・イノシシなどの動物骨、クリ・トチノミなどの堅果類、土偶、土製品、石製品などの祭祀的な遺物が出土し、火を用いた祭祀が繰り返し行われた...
入江・高砂貝塚(入江貝塚)

英名:Irie Site
内浦湾を望む段丘上にある貝塚を伴う集落跡。竪穴建物による居住域、墓域、貝塚で構成される。貝塚からは、アサリやイガイなどの貝類、ニシン、ヒラメ、マグロなどの魚骨、イルカなどの海獣骨、動物の骨や角を加工した釣針や銛などの骨角器が出土し、漁労や狩猟が活発に行われていたことを示す。墓域からは、ポリオ(小児麻痺)や筋ジストロフィーが原因と考えられる筋萎縮症に罹患したとみられる成人人骨が見つかっており、集落内で手厚い介護を受けな...
入江・高砂貝塚(高砂貝塚)

英名:Takasago Burial Site
内浦湾をのぞむ低地に立地する貝塚を伴う共同墓地。墓域は、土坑墓と配石遺構で構成されている。土坑墓からは、抜歯の痕跡が認められる人骨や胎児骨を伴う妊産婦の墓が確認されている。配石遺構からは、土偶や土製品などが出土し、当時の葬送や祖先崇拝などを示す。貝塚からはタマキビ、ホタテ、アサリなどの貝類、ニシン、カレイ、マグロなどの魚類のほか、鹿角製の銛頭など漁労具も多数出土している。沿岸地域における漁労を中心とする...
小牧野遺跡

英名:Komakino Stone Circle
八甲田山西麓に広がる台地上に立地する環状列石を主体とする祭祀遺跡。環状列石は、中央帯・内帯・外帯の三重構造で、その周りに一部四重となる列石が配置され、全体で直径 55mになる。環状列石は、土地造成が行われた後、楕円形の石を縦・横に組み合わせて円環状に配置して構築されている。環状列石やその周囲の捨て場からは、土偶やミニチュア土器、400 点を超える三角形岩版などの祭祀遺物が出土している。本遺跡の周辺には環状列石が確...
伊勢堂岱遺跡

英名:Isedotai Stone Circles
米代川近くの段丘上に立地する環状列石を主体とする祭祀遺跡。遠方の山並みが一望できる段丘北西端に4つの環状列石が隣接して配置され、最大のものは直径約 45mに及ぶ。環状列石の下部には土坑墓がみられ、墓地と祭祀場を兼ね備えた空間と考えられている。環状列石の周囲には掘立柱建物や貯蔵穴が同心円状に配置され、土偶や動物形土製品、鐸形土製品、岩版、三脚石器、石剣などの祭祀遺物も多数出土している。周辺には環状列石が確認さ...
大湯環状列石 (特別史跡)

英名:Oyu Stone Circles
大湯川沿いの段丘上に立地する環状列石を主体とする縄文時代後期(約4,000年前)の祭祀遺跡。万座と野中堂の2つの環状列石があり、大小の川原石を組み合わせた配石遺構によって円環が形成されている。万座環状列石が最大径 52m、野中堂環状列石が最大径 44mとなる。それらの周囲には、掘立柱建物、貯蔵穴、土坑墓などが同心円状に配置され、土偶や土版、鐸形土製品、石棒、石刀などの祭祀遺物が数多く出土している。2つの環状列石の中心の石と...
キウス周堤墓群

英名:Kiusu Earthwork Burial Circles
石狩低地帯をのぞむ緩やかな斜面に立地する高い土手を伴う大規模な共同墓地。周堤墓は、円形の竪穴を掘り、掘った土を周囲に積み上げて構築され、その内側に複数の墓が配置されている。キウス周堤墓群では、9基の周堤墓が群集し、現在でもその形状を視認できる。最大のものは外径 83mで、周堤上面から竪穴底面までの高低差が 4.7mに達する。墓には、赤色顔料がまかれたものや、墓標と考えられる立石が埋められたものもある。独特...
大森勝山遺跡

英名:Omori Katsuyama Stone Circle
岩木山麓の丘陵上に立地する環状列石を伴う祭祀遺跡。環状列石は、円丘状の盛土の縁辺部に 77 基の組石を配置し、長径 48.5m、短径 39.1mの楕円形に造られている。環状列石及びその周囲からは、円盤状石製品が約 250 点出土し、環状列石に関連する祭祀・儀礼用の道具と考えられている。本遺跡の周辺には環状列石がないため、広域にわたる複数の集落によって構築、維持、管理された祭祀場と考えられ、精神文化の発達を顕著に示す。環...
是川石器時代遺跡

英名:Korekawa Site
中居、一王寺、堀田の3つの遺跡からなる。なかでも、中居遺跡は竪穴建物、墓、捨て場、水場など多様な施設を伴う集落である。低湿地の捨て場からは、精巧な土器や土偶をはじめ、漆が塗られた弓や櫛、腕輪、容器などの漆製品が多数出土し、高い精神性と優れた工芸技術を知ることができる。また、弓やヤスなどの木製品、クルミやトチなどの堅果類、シカやイノシシなどの獣骨、スズキやマグロなどの魚骨のほか、貯木やトチのアク抜きを行ったと推定され...
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26件のコメント
Yamaken
chiyomi
家族
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2021
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2022年訪問
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2021/7/22
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H23
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2022年10月頃
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三内丸山遺跡(特別史跡)
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青森の遺跡は規模が大きいです
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Patrimonio de la Humanidad
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訪問済み
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2022.11.06 御所野遺跡
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ツーリング
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三内丸山遺跡行った!
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ケロコ
三内丸山遺跡だけ
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